
「オススメ度」★★★★☆
本日ご紹介するのは、「マグダレンの祈り」(原題The Magdalene Sisters)。
ピーター・マラン監督・脚本で2002年 に制作されたアイルランド・イギリス合作映画です。
ストーリー
アイルランドでつい先ごろまで存在した、”性的に“堕落した”女性たちを収容し矯正させる施設。
そのひとつ、マグダレン修道院に、時を同じくして3人の少女が収容される。
その美しさゆえに周囲の少年たちの目を惹きつけてしまったバーナデット、従兄弟にレイプされたマーガレット、そしてローズは未婚のまま赤ん坊を産んだことがそれぞれ“罪”とされたのだった。
彼女たちは、修道院を管理する修道女たちに性悪女と決めつけられ、祈りと労働によって神に奉仕し“罪”を悔い改めるよう言われるのだった。しかしそこで彼女たちを待っていたのは、過酷な労働と自由の一切ない刑務所以上に非人間的な環境だった。
実話をベースに作られたこの映画ですが、見ていて本当に悲しくなります。
登場する少女達は、第3者によって「決定的に道を外れたもの」と決め付けられ、蔑まされています。
彼女達が、これほどの蔑みを受ける必要があるのか、少なくとも映画のストーリーの中では、「否」というしかないのですから。
宗教というのは、諸刃の剣なのだと感じざるをえません。
人間の生き様というのは、決してひとつではない。
この道も、その道も、あの道もある。
でも、人間として、超えてはいけない一線は確かにある。
その線を超えた、と決めるのは誰なのでしょう?
歴史上、そのことを決定させてきたのは、大きくわけて2つ、「宗教」と「法律」です。
法治国家として栄華を極めたローマ帝国から、神による戒律で人を治めようとするユダヤ教など。
この2つがうまく機能したときに、人は生活の基盤を安定させることが出来るのでしょう。
でも、それが捻じ曲げられたときは?
その時は悲劇です。
だからこそ、この2つに依存しない「人間とは」を、己で見つめる必要がある。
人間として、超えてはいけない一線を決めるのは、己であって欲しい、と思います。
それこそが「人間」。
「マグダレンの祈り」の祈りでは、捻じ曲げられた倫理と、それに疑問を持ち、強く己を生きる少女に深い感動を覚えます。
ところで、マグダレンとは、もちろんマグダラのマリアに因んで名付けられた修道院なわけですが、「ダヴィンチ・コード」でとみに知名度の上がったマグダラのマリア。
マグダラのマリアは、キリストと出会って改心する娼婦であるとされてきましたが、ダヴィンチ・コードでは、マグダラさえも、娼婦であるという史実は無く、実は王族の女性であったとしています。
教会側の女性軽蔑の意図により、娼婦であると書き直されてしまったというのです。
それを全て鵜呑みのするわけではないですが、もし、ほんとうならば、「マグダレンの祈り」の悲劇は、聖書登場時に約束されていたと言ってもいいのでしょうね。











